知覧麓

知覧麓ちらんふもと
鹿児島県南九州市知覧町郡
Mapion

--地頭仮屋跡碑--
別名 知覧外城・麓
交通 各線「鹿児島中央駅」からバス「武家屋敷入口」下車。
築城年代 1610年(慶長15)頃
築城者 佐多忠充
形式 平城
主な城主 島津(佐多)久峯
1197年(建久8)源頼朝の命により出来た「薩摩国図田帳」によると、この地は知覧院と呼ばれ、薩摩平氏の一族平忠益が郡司として治めており、地頭は島津氏初代忠久であった。
1353年(文和2)島津氏4代忠宗の3男忠光が大隅国佐多村を領していた事から佐多氏を称し、足利尊氏から知覧を与えられて以降、この地は佐多氏が領主として続いた。
1595年(文禄4)知覧は佐多氏に代わって種子島久時の所領となるが、1610年(慶長15)佐多氏12代忠充が地頭として復帰すると、知覧城の城下に源を持つ知覧麓は充実されていく。
1677年(延宝5)16代久達の時、知覧は私領地となり、その後家老を務め、以後島津の姓を許される。
1751〜64年(宝暦年間)18代久峯の時、仮屋(現鹿児島地方検察庁敷地)を中心として麓屋敷が整備され、現在見られる知覧麓の姿はこの時のものとされる。
武家屋敷通り 西郷氏邸 内側から見る屋敷入口
屋敷群のほぼすべて入口が
枡形になっている

参考文献 「現地案内板」
                         「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年1月