1526年(大永6) 北条氏綱×里見実堯 玉縄首塚地図 --玉縄首塚(甘糟塚)-- |
交通 | JR東海道本線「大船駅」から徒歩10分。 |
1526年(大永6)浦賀水道を隔て対岸の三浦半島を領有する北条氏の脅威を除きたい安房国里見実堯は、先祖の故地である鎌倉入りを望む小弓公方足利義明と結び、三浦半島へ押し寄せた。 三浦沖の海戦で北条水軍を破った里見勢は鎌倉へ上陸すると、北条勢と激しく争い、この時鶴岡八幡宮は兵火に遭っている。 この合戦で玉縄城主北条氏時は戸部川(柏尾川)畔で防戦したとされ、玉縄首塚は合戦で討死した北条方甘糟氏以下35人の首塚であるという。 また鎌倉に攻め寄せた人物としては文献により実堯、義豊、義弘ともされている。 |