土気城

土気城とけじょう
千葉県千葉市緑区土気町
Mapion

--クラン坂--
別名 金城・貴船城
交通 JR外房線「土気駅」から徒歩30分。
築城年代 724〜29年(神亀年間)
築城者 大野東人
形式 平山城
主な城主 酒井康治
土気城は724〜29年(神亀年間)陸奥国多賀城が築かれた頃、鎮守府将軍大野東人が蝦夷の侵入に備え、この地に金城又は貴船城と称する城砦を築いた事に始まると伝えられる。
室町時代に入ると、相馬胤綱の次子土気太郎が土気荘地頭として拠り、その後大関城主畠山重康が居城した。
1488年(長享2)中野城主酒井定隆は重康を追うと、土気古城を再築し、中野城から移って来た。これより土気城は5代約100年酒井氏居城となり、1509年(永正6)定隆が子の隆敏と共に東金城へ移ると、酒井氏は2派に分かれ、「土気・東金の両酒井」と称される。
酒井氏は里見氏に従い活躍するが、後に後北条氏に従うようになり、1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、土気・東金の両酒井氏は小田原城に籠もった。そして小田原城が落城すると、土気城も開城し、酒井氏も没落した。
大別して本丸・二の丸・三の丸から成る大規模な連郭式の城郭で、それぞれを区切る空堀が良く残されている。また本丸南下を降る堀底道はクラン坂と呼ばれ、昼でも暗い事からその名が付いたとも言われる。
大手堀跡 貴船神社 三の丸
三の丸・馬頭観音 三の丸北側 二の丸虎口
二の丸空堀 二の丸はひまわりの郷敷地となり、
立ち入り出来ない。
城址南側を通る外房線
右側が城址

参考文献 「現地案内板」
                  「房総の古城址めぐり 有峰書店」
                      「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2012年11月