土佐坊昌俊屋敷

土佐坊昌俊屋敷とさのぼうしょうしゅんやしき
神奈川県鎌倉市雪ノ下1丁目
Mapion

--屋敷址碑--
別名  
交通 JR横須賀線「鎌倉駅」から徒歩15分。
築城年代  
築城者  
形式 屋敷
主な城主 土佐坊昌俊
元大和国興福寺衆徒である土佐坊昌俊屋敷跡。
昌俊は大和針ノ庄狼藉事件の当事者として捕らわれ、土肥実平預かりの身となるが、その後伊豆に下向すると源頼朝に仕えるようになり、平家討伐戦等に活躍した。1185年(文治1)10月、義経暗殺を命じられた昌俊は、上洛して義経の堀川館を襲撃するが、失敗に終わり、六条河原で処刑された。
一説に渋谷重国の弟で渋谷城主金王丸が、源義朝の菩提を弔う為出家し、土佐坊昌俊と称したといわれるが、2人が同一人物であったかは明らかでない。

参考文献 「現地石碑文」
              「歴史群像シリーズ 学研」
訪城回数 1
2007年6月