東京都渋谷区渋谷3丁目 --金王八幡宮-- |
別名 | 金王丸城 |
交通 | 各線「渋谷駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | 平安時代 |
築城者 | 渋谷氏 |
形式 | 丘城 |
主な城主 | 渋谷金王丸 |
平安時代、河崎基家が源義家より渋谷を含む谷盛七郷一帯を与えられると、その子重家がこの地に館を構え、居城としたといわれる。 その後重家の長子重国は、相模国渋谷荘司となり、早川城へ移ったが、次男金王丸常光(後の土佐坊昌俊)はこの地に残り、1159年(平治1)平治の乱の際には源義朝と共に戦った。その後金王丸は出家して土佐坊昌俊と称し、敗れた義朝の菩提を弔ったという。また昌俊は頼朝とも親交が深く、鎌倉幕府開府にも尽力、1185年(文治1)義経追討の命を受けると、上洛して堀川館を襲撃するが、失敗に終わり、六条河原で討たれた。しかし金王丸と土佐坊昌俊が同一人物であったか、疑問もあり、昌俊は元々大和国興福寺衆徒で、その後土肥実平と親交をもって伊豆に下り、頼朝に従った人物ともいわれている。 金王丸以降の渋谷城における渋谷氏の動向は明らかではないが、1524年(大永4)後北条氏と江戸城主扇谷上杉氏が争った際、渋谷氏が高輪原で後北条氏と交戦中、渋谷城は後北条氏の一軍に焼き払われたという。 1092年(寛治6)渋谷氏の祖河崎基家が創建したという金王八幡宮が城址。境内に「砦の石」が置かれている以外、特に明確な遺構は見当たらない。 |
金王八幡宮・山門 | 渋谷城・砦の石 | 金王丸御影堂 |