東福寺城

東福寺城とうふくじじょう
鹿児島県鹿児島市清水町
Mapion

--城址碑--
別名 浜崎城
交通 JR鹿児島本線「鹿児島駅」から徒歩20分。
築城年代 1053年(天喜1)
築城者 長谷場永純
形式 山城
主な城主 島津貞久
1053年(天喜1)藤原純友から4代目にあたる長谷場永純により築かれたとされ、三州(日向・大隈・薩摩)としては初めての城だという。
南北朝時代、南北朝の対立が全国に広がり、薩摩でも二手に分かれて激しい争乱が繰り返された。この頃出水にあった島津氏5代貞久は北朝方に属し、これを機に鹿児島に進出を企てる。この東福寺城には長谷場秀純と共に、南朝方肝付兼重が一族を率いて籠もっていた。
1341年(暦応4)8ヶ月に及ぶ激戦の末、貞久は東福寺城を攻め落として入城すると、志布志城から4男氏久を呼び寄せ、以来島津氏の鹿児島での本拠となった。
島津氏は東福寺城を根城に大隈地方にまで勢力を延ばすようになると、やがて手狭になり、1387年(嘉慶1)氏久の子元久は清水城を築いて移ったが、その後もこの東福寺城は重要視され、また幕末には島津藩の砲塁等にも利用されている。
城址は公園化されており、大きく改変されている印象だが、曲輪跡や堀切跡と思われる地形が確認出来る。
肝付兼重奮戦の跡碑 東郷平八郎像 城址から桜島遠望

参考文献 「現地案内板」
                         「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2011年9月