鹿児島県鹿児島市稲荷町 --居館跡・清水中学校-- |
別名 | |
交通 | JR鹿児島本線「鹿児島駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | 1387年(嘉慶1) |
築城者 | 島津元久 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 島津貴久 |
出水から鹿児島に進出した島津氏は、東福寺城を根城に大隈地方にまで勢力を延ばすようになると、やがて城は手狭になり、1387年(嘉慶1)島津氏久の子元久はこの清水城を築いて移った。以後15代貴久が1550年(天文19)に内城を築いて移るまで、島津氏8代の居城となった。 元久の死後に跡目を巡り、長子犬千代を推す伊集院頼久と元久の腹違いの弟久豊の間で争いが起こり、頼久によって清水城が焼き払われた事もあったという。 この地は大隈と薩摩を結ぶ交通の要衝で、島津氏が清水城を居城として以来、城下町が形成され、内城の築城移転によってほぼ今日の上町の形が造られ、鹿児島発祥の地ともいえる。貴久が内城へ移ると、大興寺・大乗寺敷地となり、薩摩藩の真言宗の中心寺院として栄えた。 現在居館跡は清水中学校敷地となり、遺構は全く残されていない。また山城のほうも登山道は整備されていないようである。 |
校門脇にある五輪塔の残欠 | 稲荷馬場碑 |