兵庫県尼崎市塚口本町 --正玄寺-- |
別名 | 塚口寺内町・塚口御坊 |
交通 | 各線「阪急塚口駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 1532〜55年(天文年間)頃 |
築城者 | 一向一揆衆か |
形式 | 平城(寺内町) |
主な城主 | 一向一揆衆 |
この地は1409年(応永16)性曇上人が建てた正玄寺を中心として発展した寺内町に始まり、1467年(応仁1)応仁の乱が勃発した頃、正玄寺の末寺は増え、最徳寺・光遍寺・超光寺等がこれを警護していた。 1532〜55年(天文年間)頃、正玄寺に摂津一向一揆衆が立て籠もった時、土塁や堀が設けられ、防備が強化されたと考えられる。 1578年(天正6)10月21日、有岡城主荒木村重が織田信長に背いた時、塚口城は一時出城として利用されたが、平城であった為、すぐに放棄されると、代わって信長方部将の滝川一益や丹羽長秀が入城し、有岡城攻めの付城となった。そして有岡城が落城すると、塚口城は廃されたと思われる。 塚口城は総延長966メートルの環濠集落で、周囲は土塁や堀に囲まれ、4ヶ所の城門があったという。現在城門跡にはそれぞれ祠が祀られ、一帯は宅地化されているが、堀跡とされる水路が流れている。 |