兵庫県姫路市香寺町恒屋 --南から城址遠望-- |
別名 | 高岡城・中嶋城 |
交通 | JR播但線「溝口駅」から登山口まで徒歩30分。 南麓、祐光寺裏手から登山道があります。 |
築城年代 | 1441〜43年(嘉吉年間)か |
築城者 | 恒屋氏 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 恒屋氏 |
1441〜43年(嘉吉年間)赤松氏被官である恒屋氏により築かれたといわれ、代々居城したとされる。 1578年(天正6)9月、長水城主宇野政頼5男という最後の城主恒屋正友は羽柴秀吉に属すが、1580年(天正8)4月、父政頼が秀吉と対決すると自身も長水城に籠城したとされる。そして長水城落城後、秀吉に許された正友は黒田如水・長政父子の家臣となって九州に移り、1602年(慶長7)7百石の知行を得ている。 西麓を恒屋川が流れる城山山頂に位置する。城址は大きく標高199メートルの前城と標高236メートルの後城の大小2つの峰から成り、堀切・横堀で分断している。東側は急斜面となり、防御施設はほとんど見当たらないが、西側は横堀や畝状竪堀群が設けられている。また西麓、香寺荘付近は「おやしき」と呼ばれ、居館跡と考えられており、谷を挟んで北の尾根には「姫屋敷」と呼ばれる遺構も残されている。 |
前城堀切跡 | 前城畝状竪堀群 | 前城五輪塔の残決 |
前城南曲輪 | 前城虎口 | 前城 |
前城西下・畝状竪堀群 | 前城・後城間鞍部(三の丸)土塁 | 二の丸西横堀 |
二の丸 | 後城西横堀 | 後城西斜面畝状竪堀群 |
後城南堀切(水の手) | 後城南下虎口 | 後城竪堀 |
後城虎口 | 後城 | 西麓・「おやしき」 |