土屋城

土屋城つちやじょう
神奈川県平塚市土屋
Mapion

--館跡--
別名 土屋宗遠居蹟
交通 小田急線「秦野駅」からバス「小熊天神前」下車。
築城年代 鎌倉時代
築城者 土屋弥三郎宗遠
形式 谷津構
主な城主 土屋氏
土屋弥三郎宗遠は、古くから中村郷に勢力を張っていた中村宗平の3男で、鎌倉幕府御家人として活躍、その子義清も随兵役を勤める等、源頼朝の厚い信頼を受けていた。
1416年(応永23)土屋氏は上杉禅秀の乱に組したが、鎌倉公方足利持氏勢に敗れ、土屋氏は滅亡したとされる。
大乗院南に位置する段丘上に館を設けていたと推定され、隅には土屋一族の墓と伝えられる墓域がある。また西方にあった高神山を城とする説もあるが、現在は採土により山自体が消滅している。
現在も土屋は惣領分・庶子分・寺分と地域区分されているが、これは土屋氏が所領を一族で三分した事によるものと考えられている。
大乗院 大乗院裏手にある案内板 土屋一族墓所

参考文献 「現地案内板」
               「神奈川の城 朝日ソノラマ」
                      「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2010年2月