上杉朝宗屋敷

上杉朝宗屋敷うえすぎともむねやしき
神奈川県鎌倉市浄明寺1丁目
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--屋敷址碑--
別名  
交通 JR横須賀線「鎌倉駅」から徒歩35分。
築城年代  
築城者  
形式 屋敷
主な城主 上杉朝宗・氏憲
関東管領犬懸上杉朝宗(禅助)とその子氏憲(禅秀)屋敷跡。
朝宗は足利公方2代足利氏満、3代満兼に仕え、満兼が亡くなると出家し、禅助を名乗った。
家督を継いだ氏憲は、憲定に代わって関東管領に就き、鎌倉公方4代持氏を補佐するが、やがて持氏と対立するようになる。
1416年(応永23)氏憲は持氏の叔父満隆と謀り、満仲を奉じて挙兵し、翌年1月、瀬谷中丸山において中原道・武蔵道・鎌倉道から押し寄せる江戸氏ら諸軍勢と激しく争うが、9日敗走し、10日一味と共に雪ノ下の鶴岡別当坊で自害した。(上杉禅秀の乱)
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別願寺・伝足利持氏墓
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遊行寺・敵御方供養塔
1418年(応永25)上杉禅秀の乱戦死者
供養の為に造立

参考文献 「現地石碑文」
               「歴史群像シリーズ 学研」
訪城回数 2
2007年6月
2016年1月