鹿児島県鹿児島市城山町 --北(多賀山公園)から城山遠望-- |
別名 | |
交通 | 鹿児島市電「市役所前駅」から登山口まで徒歩5分。 |
築城年代 | 1352年(正平7) |
築城者 | 上山氏 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 島津氏 |
1352年(正平7)豊州緒方(大分地方)豪族上山氏が鹿児島に入り、築城したとされる。 1346〜83年(正平年間)島津氏の為、上山氏は桜島に移り、その後の消息は不明という。 以来この城山は放置されていたが、1602年(慶長7)島津氏18代忠恒(家久)が鶴丸城を築くと、上山城は詰城として再び取り立てられた。 1877年(明治10)9月、西南戦争の際、西郷隆盛がこの城山に立て籠もり、最後の激戦の地となった。24日午前4時、政府軍による総攻撃が開始され、西郷隆盛は自刃した。 展望台から北側ドン広場にかけてが城址とされ、広場には土塁が残されている。しかし西南戦争の際には本営が置かれ、現在は城山全体が公園化され、遺構は明確でない。 |
夏陰城址碑・夏陰公園内 裏手からの攻撃に備える為、 武士の配置が決められており、城や 砦は無かったが夏陰城と呼ばれる ようになった。 |
西郷隆盛南州洞窟 西南戦争最後の司令部となる |
西郷隆盛終焉の地碑 洞窟を出て300メートル、 この地で自刃した。 |