熊本県宇土市神馬町 --城址碑-- |
別名 | 中世宇土城・名和城 |
交通 | 各線「宇土駅」からバス「宇土本町1丁目」下車。バス停から 徒歩20分。 |
築城年代 | 1048年(永承3) |
築城者 | |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 名和氏 |
「西岡台」と呼ばれる標高39メートルの小高い丘陵上に位置する。築城年代は明らかでないが、南麓の西岡神宮の記録によると、1048年(永承3)に築かれて以後、菊池氏一族である宇土氏が代々城主であったとされる。 1503年(文亀3)守護職菊池氏との争いに敗れた宇土氏が滅亡すると、翌年菊池氏と相良氏に八代古麓城を追われた名和氏が入城した。 1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐後、肥後国には佐々成政が入封するが、失政の責任を問われて自害すると、肥後南半国は小西行長に与えられた。宇土城に入城した行長は新しい領国支配の体制を整えるべく、東に宇土新城を築いて移り、それに伴いこの宇土城は廃城になった。 城址は公園として整備されており遺構が分かりやすく確認出来る。三城付近には重機が入っており、こちらも今後整備されていくものと思われる。 |
千畳敷東腰曲輪 | 千畳敷南堀 | 千畳敷北、未完成の堀 畝が見られるが、掘削が途中で 中止されたものと考えられている |
千畳敷虎口 | 内側から見る千畳敷虎口 | 千畳敷(主郭) |
三城方面 | 三城(二郭) | 三城北石垣 後年のものか? |