宇土城

宇土城うとじょう
熊本県宇土市古城町
Mapion

--石垣--
別名 近世宇土城・鶴ノ城・小西城
交通 各線「宇土駅」からバス「宇土本町1丁目」下車。バス停から
徒歩10分。
築城年代 1589年(天正17)
築城者 小西行長
形式 平山城
主な城主 加藤氏
1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐後、肥後国には佐々成政が入封するが、失政の責任を問われて自害すると、肥後南半国は小西行長に与えられた。行長は始め「西岡台」の宇土古城に入城するが、新しい領国支配の体制を整えるべく、この宇土新城を築いて移った。築城に際し、行長は天草郡に普役を課したが従わなかった為、本渡城を攻め落とし、従属させている。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦において、行長は西軍に従った為、宇土城は加藤清正らに攻められ、行長処刑後に開城した。
その後行長旧領を合わせて54万石を与えられた清正は、宇土城を隠居城とすべく大改修を行ったが、1611年(慶長16)死去し、翌年幕命により破却された。更に1637年(寛永14)島原の乱後、徹底的に破壊されている。
熊本城の宇土櫓は宇土城天守を移築したものとされていたが、解体修理の際、その痕跡が見られなかった為、現在は否定されている。
二の丸は墓地になっている
一部石垣が見られるが遺構かは不明
本丸南東隅石垣 本丸南石垣
本丸南石垣
この辺りは新しいもののように見える
本丸 本丸に立つ小西行長像

参考文献 「現地案内板」
                          「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年1月