三重県伊賀市上神戸 --東から城址遠望-- |
別名 | 御殿 |
交通 | 近鉄大坂線「伊賀神戸駅」 |
築城年代 | 1577年(天正5) |
築城者 | 北畠具親 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 北畠具親 |
1576年(天正4)北畠(織田)信雄の家臣により、国司であった北畠具教が討たれると、具教の弟具親は還俗して奈垣(名張市)の吉原左京佐を頼り、翌5年に伊勢国森城で挙兵した。しかし織田勢に敗れると具教は伊賀に逃れ、この我山城を築いた。 1578年(天正6)信雄は重臣滝川三郎兵衛勝雅(のち雄利)に命じ丸山城の築城を開始しているが、これは伊賀支配の拠点と共に、我山城に籠もる具親や北畠残党の一掃が目的であったと考えられる。 また往時の城の規模等明らかではないが、672年壬申の乱の際には大友皇子軍が立て籠もり敗れている。 |