若槻山城

若槻山城わかつきやまじょう
長野県長野市大字若槻東条
Mapion
登山口地図

--主郭に立つ城址碑・案内板--
別名 三登山城
交通 JR信越本線「長野駅」からバス「若槻団地中央」下車。
若槻里城経由で登山口まで徒歩20分。
地図の地点、サラダパーク先に登山口があります。
築城年代 鎌倉時代初期
築城者 若槻頼隆
形式 山城
主な城主 若槻氏
鎌倉時代初期、八幡太郎源義家の孫にあたる若槻頼隆が、麓の里城と共に築城したと伝えられる。
室町時代には高梨氏に属し、若槻庄もその知行地となった。
1404年(応永11)信濃守護代細川慈忠の入信に反抗し、若槻氏は高梨氏と共に争い、この時若槻山城は落城した。
戦国時代に入ると武田・上杉両氏の争いに巻き込まれ、若槻山城は上杉氏によって整備されたが、1558〜69年(永禄年間)武田氏に攻められ、若槻氏は越後に逃れたといわれる。
北方390メートル、標高785メートルの地点(主郭から15分程・案内板有)には「番所(ばんどこ)」と称される郭があり、背後の守りとしている。また若槻山城登山道の途中には2003年(平成15)6月、地元の小学生が若槻山城登山の帰り道に見つけたという「堂沢出城」がある。

若槻山城
五郭 井戸跡 主郭土塁
主郭に残る河原石 主郭背後堀切 堀切から延びる竪堀

番所
番所 背後堀切

堂沢出城
堂沢出城

参考文献 「現地案内板」
                    「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年10月