矢口渡古戦場

矢口渡古戦場
東京都大田区矢口1丁目

1358年(正平13)
新田義興×畠山国清・江戸氏・竹沢氏
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--新田神社--
交通 東急多摩川線「武蔵新田駅」から徒歩10分。
1358年(正平13)4月30日、足利尊氏が京の三条坊門第で亡くなると、その子基氏は新田義興の勢力を恐れ、北武蔵の安定化の為に義興の謀殺を図る。
足利幕府執事である畠山国清は、武蔵野合戦で義興に従っていた江戸遠江守・江戸下野守・竹沢右京亮と奸計を廻らし、それぞれ所領没収の罪科に処されたと偽って、義興に救援を求めさせた。
10月10日、義興は江戸氏・竹沢氏と合流して基氏・国清を討つべく、支族や近習の将兵10数人と鎌倉へ向かう為、多摩川矢口で渡し舟に乗った。しかし江戸遠江守らに加担した矢口渡の渡守の船頭は予め舟に穴を開けていた為、義興らは川中で進退極まり自刃、或いは渡岸し、江戸・竹沢らの軍勢と奮戦して討死した。
多摩川の流路の変貌は著しく、当時の多摩川は光明寺池(鵜の木1丁目)から現在の新田神社すぐ裏手を流れており、義興が渡った古矢口渡はこの中間付近にあったものと考えられている。
新田神社・狛犬
畠山一族、末裔が新田神社に来ると
雨が降り、この狛犬がうなったという
新田神社・御塚
義興を埋葬した円墳
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十寄神社
義興に殉じた十勇士を祀る
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妙蓮塚三体地蔵尊
妙蓮という尼僧が義興に殉じた
三勇士の為、建立した地蔵尊
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頓兵衛地蔵
渡守の船頭が後に前非を悔い、
建立した地蔵尊
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光明寺
この地に雷留観音が安置されており、
これが義興の怨霊を恐れた遠江守が
逃げ込んだ辻堂ともいう
光明寺荒塚古墳1号墳
江戸氏・竹沢氏墳墓ともいわれる
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女塚神社
義興侍女であった少将局を祀ると
いわれ、境内に女塚霊神の塚が残る
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新田義興墓
威光寺(群馬県太田市由良町)

参考文献 「新田神社 HP」
             「歴史群像シリーズ 学研」
2009年8月
2023年6月