徳島県板野郡藍住町矢上 --城址・城主を祀る塚-- |
別名 | 勝興寺城 |
交通 | JR高徳線「勝瑞駅」から徒歩35分。 |
築城年代 | 戦国時代 |
築城者 | 矢野伯耆守 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 十河存保・矢野伯耆守 |
築城年代等は明らかではないが、細川・三好氏時代を通じ、勝瑞城の西大手口の支城として重要な役割を持っていた。 1582年(天正10)8月、中富川合戦の際、十河存保(三好存保)は自ら5千の兵を率い、勝瑞城と中富川の中間に位置するこの矢上城に入城し、指揮している。城主矢野伯耆守・嫡子矢野備前守は先陣を切って中富川に討って出るが、土佐勢に討たれ、矢上城は落ち、その後勝瑞城も落城した。 城址は田畑や住宅地となっており、城主を祀る塚があるのみで遺構は無い。 |