宮崎県都城市山田町山田 --遠堀跡-- |
別名 | 龍廻城・朝霧城 |
交通 | JR日豊本線「都城駅」から車で30分。 |
築城年代 | 1359年(正平14) |
築城者 | 相良定頼 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 北郷氏 |
1359年(正平14)肥後国相良定頼により築かれたといわれ、その後真幸院(現えびの市)を領する北原氏の持城となり、白阪左衛門が城主であった。 1543年(天文12)都之城城主北郷忠相が落とし、北郷忠茂が置かれた。 1595年(文禄4)北郷氏が宮之城に移封されると、代わって伊集院忠棟が都之城領主となり、山田城はその支配下に入る。 1599年(慶長4)伊集院忠棟が伏見で島津忠恒に討たれると、その子忠真が都之城12外城に拠って島津宗家と争った。この庄内の乱の際、山田城には長崎冶部少輔・長崎休兵衛らが籠もるが、島津勢に攻め落とされた。 乱後北郷氏が再び領主となるが、1615年(元和1)一国一城令により廃城となり、後に地頭仮屋が置かれた。 現在都城市役所支所や山田運動公園敷地となり、西側の坂道に遠堀跡が僅かに残る。 |