山上城

山上城やまがみじょう
群馬県桐生市新里町山上
Mapion

--南西から城址遠望--
別名     
交通 上毛電鉄上毛線「膳駅」から徒歩20分。
築城年代 1521〜1528年(大永年間)
築城者 山上氏
形式 丘城
主な城主 山上氏
山上氏は足利大夫成行の孫、五郎高綱がこの地に住し、山上氏(藤姓山上氏)を称した事に始まると伝えられる。
1183年(寿永2)野木宮合戦で敗れた足利忠綱は、一時この山上の竜奥館に潜伏するが、その後下野国で自害した。この竜奥館については、山上城の本丸、または北東の葛塚城とも考えられている。
1555年(弘治1)山上氏秀(道及)の頃、北条氏康により攻略され、山上城を追われた氏秀は長尾顕長、その後滝川一益に従ったという。
その後山上城は上杉謙信に攻略され、大胡民部左衛門が置かれるが、永禄の頃は由良成繁の持城であったようである。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの後、廃城となった。
三の丸西空堀 三の丸 二の丸・三の丸間空堀
二の丸 本丸西空堀 本丸

参考文献 「群馬の古城 あかぎ出版」
                 「群馬県の中世城館跡 群馬県教育委員会」
                「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2012年1月