1582年(天正10) 毛利氏×宇喜多氏 --戦死者供養塔-- |
交通 | JR宇野線「八浜駅」から徒歩15分。 |
1581年(天正9)羽柴秀吉は毛利氏攻略の為、岡山城主宇喜多直家に備前児島への出兵を命じた。この時直家は病床にあった為、異母弟浮田忠家に毛利方小串城を攻めさせ、更に麦飯山に城を築かせて毛利氏に備えた。これに対し毛利氏は一族である穂井田元清を総大将として麦飯山城を攻めさせると、城兵の中に内応者が出た事もあり、麦飯山城は毛利方となる。 その後直家が亡くなると、嫡子八郎(後の秀家)が幼少であった為、忠家が指揮を執り、八浜城に嫡子基家、常山城に戸川秀安、日向山城に岡家利を置いて毛利氏に備えた。一方毛利氏は先の合戦で落城させた麦飯山城に穂井田元清、番田城に浦宗勝を派遣した。両軍の戦いは麦飯山城麓の柳畑付近での小競り合いから始まり、徐々に戦線は拡大した。混戦の中、基家が討死すると宇喜多勢は総崩れになると思われたが、常山城主戸川秀安が率いる7人の勇士の活躍により体勢を挽回し、毛利勢を退けた。この7人は後世八浜七本槍と称された。 |