淀古城

淀古城よどこじょう
京都府京都市伏見区納所北城堀
Mapion

--妙教寺境内に立つ城址碑--
別名 藤岡城
交通 京阪本線「淀駅」から徒歩10分。
築城年代 室町時代中期
築城者 畠山政長
形式 平城
主な城主 岩成友通・木村重茲
室町時代中期、守護畠山政長が西軍の畠山義就に備える為に築城した。
1559年(永禄2)三好長慶は細川氏綱を淀城に配し、将軍足利義輝を牽制させる。
その後1568年(永禄11)、織田信長の入京と同時に淀城は織田勢に攻められ落城した。
1582年(天正10)6月、本能寺の変後山崎合戦に先立ち、明智光秀により改修された事が記録にみえる。
やがて豊臣秀吉の天下になり、1589年(天正17)3月、羽柴秀長は淀城を修築し、秀吉の側室である懐妊した淀殿が入城し、以後淀の方と呼ばれるようになった。淀殿は5月27日鶴松を産んだが、僅か4ヶ月で大坂城に入り、淀古城は間も無く廃城となった。
字城堀に建つ妙教寺一帯が城址だが、境内に城址碑があるのみで、明確な遺構は残されていない。
妙教寺 南側を流れる川

参考文献 「現地案内板」
                 「日本城郭全集 人物往来社」
                        「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2009年6月