油井城

油井城ゆいじょう
埼玉県加須市油井ケ島
Mapion

--堀跡--
別名 鐘撞山
交通 東武伊勢崎線「花崎駅」から徒歩25分。
築城年代 14世紀
築城者    
形式 平城
主な城主 猪俣小平太則綱
武蔵七党の一つ、猪俣党の猪俣小平太則綱、またはその末裔の城址といわれるが、築城者や築城年代等詳細は明らかではない。
1563年(永禄6)松山城は後北条・武田連合軍に攻められ落城した。この時援軍として出陣した上杉謙信は、松山城が落城した事を知り、転じて後北条方成田氏一族の小田助三郎頼興が守る騎西城を攻めた。その際上杉勢に出城であるこの油井城も同時に攻められ、城内の兵は鐘を鳴らし、騎西城に救援を求めたが、謙信本隊に攻められていた騎西城はこれに応じる事が出来ず、油井城の城兵は甲冑や武器を丘に埋め逃れたという。
鐘撞山東側に堀が残されている。
城址(鐘撞山) 堀跡

参考文献 「現地案内板」
                    「東京・埼玉の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年2月