熊本県菊池市赤星 --屋敷跡碑-- |
別名 | |
交通 | 熊本電鉄「交通センター」からバス「深川」下車。 バス停から徒歩25分。 |
築城年代 | 鎌倉時代 |
築城者 | 赤星有隆 |
形式 | 屋敷 |
主な城主 | 赤星氏 |
菊之池城主菊池氏10代武房の弟で、「蒙古襲来絵詞」にも描かれている赤星有隆屋敷跡。有隆を祖とする赤星氏は室町・戦国時代を通じて隈部・城氏と共に菊池三家老の一つとして栄えた。 1359年(正平14)赤星武貫が菊池武光に従い、大保原合戦で討死すると、菊池武時8男である武生が跡を継いだ。 1534年(天文3)菊池氏26代最後の当主義武が大友氏に追われると、赤星親家は大友氏に従い、菊池城を継ぐが、1559年(永禄2)親家の子統家は合勢川合戦で龍造寺氏に従う隈部親永に敗れ、竹迫城主合志氏を頼って逃れた。その後赤星氏は島津氏に従ったといわれる。 民家入口に碑が立つのみだが、赤星集落は加藤清正により築かれた灌漑用水「赤星土井」が流れ、典型的な日本の農村風景が残されている。 |