大保原古戦場

大保原古戦場
福岡県小郡市小郡

1359年(延文4)
懐良親王・菊池武光×少弐頼尚・大友氏時
Mapion

--古戦場碑--
交通 各線「小郡駅」から徒歩5分。
1350年(正平5)観応の擾乱後、九州は一色範氏を中心とする九州探題方・足利直冬を盟主とする佐殿方・懐良親王を擁立する菊池氏らの宮方3勢力が争う事となる。1353年(正平8)肥後国菊池城主菊池武光は探題設置に不満を抱く有智山城主少弐頼尚と結び、筑前針摺原合戦で一色範氏に勝利すると、翌年大友氏泰次いで宇都宮公綱を降し、これにより九州の大半は南朝方となる。しかし1358年(延文3)武光が唯一北朝方であった日向国日和城に拠る畠山直顕攻略の為遠征中、少弐頼尚は大友氏時と共に突如叛旗を翻し、北朝方に復した。
1359年(延文4)7月1日、菊池城を出陣した武光は3万余騎を率いて北上し、筑後川を北に望む高良山・柳坂・水縄山に布陣する。一方頼尚も7万余騎を率いて筑後川北岸に布陣した。そして19日菊池軍は先に動き、筑後川を渡ると宝満川まで前進、大保原・小郡原・山隈原に布陣する頼直・氏時連合軍と対峙した。8月6日両軍は激突、死傷者2万5千ともいわれる激しい争いの末、菊池軍が勝利した。戦後武光は懐良親王を奉じて大宰府に征西府を置き、1372年(応安5)足利幕府が派遣した九州探題今川了俊(貞世)が九州を回復するまで実権を握った。

参考文献 「現地案内板」
              「歴史群像シリーズ 学研」
2015年7月