菊之池城

菊之池城きくのいけじょう
熊本県菊池市北宮
Mapion

--城址碑--
別名 菊池古城・深川館・雲上城
交通 「桜町バスターミナル」からバス「深川」下車。
バス停から徒歩5分。
築城年代 1069〜74年(延久年間)
築城者 菊池則隆
形式 館(平城)
主な城主 菊池氏
1069〜74年(延久年間)大宰府府官で、菊池に土着した大宰大弐藤原隆家の孫とされる(郎党とも)則隆により築かれたとされ、地名から菊池氏を称するようになったといわれる。しかし菊池氏の出自については諸説あり、不明な点も多い。以後菊池氏は初代則隆から15代武光まで約300年間この地で栄えた。
1333年(元弘3)3月13日、12代武時は挙兵し、北条英時が拠る鎮西探題館を襲撃するが、武時の呼びかけに応じなかった少弐貞経・大友貞宗が探題方に付くと襲撃は失敗に終わり、武時は敗死した。しかし鎌倉幕府滅亡後、跡を継いだ武重は父武時の戦功により肥後守の地位を与えられると、1335年(建武2)竹之下合戦では新田義貞に従って殿を務め、菊池軍は竹の先端に小刀を結わえた槍を用い、後世「菊池千本槍」と称される活躍をした。
1346〜70年(正平年間)15代武光の時、菊池城を築いて移るが(16代武政の頃とも)、菊之池城は菊池十八外城の一つとして存続した。
菊之池城は丘陵隅一画に堀を廻らせて独立させた「館」であったようで、現在堀跡が水田となり残されている。また西に建つ菊池神社頓社境内には菊池氏発祥地碑・菊池則隆墓所があり、北東には狼煙を上げた所とされる「火の天神」がある。
東堀跡 城址 西堀跡
菊池氏発祥碑 菊池則隆墓 火の天神

参考文献 「現地案内板」
               「菊池一族 新人物往来社」
                         「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2016年12月