山梨県韮崎市旭町上條北割 --大輪寺-- |
別名 | |
交通 | JR中央本線「韮崎駅」からバス「旭中央公民館」下車。 |
築城年代 | |
築城者 | 甘利行忠 |
形式 | 館 |
主な城主 | 甘利氏 |
12世紀初頭、武田庄に勢力を置いた甲斐武田氏の祖である武田信義の子、一条忠頼の次男行忠に始まるという甘利氏累代館跡。 1180年(治承4)源頼朝の挙兵以来、忠頼・行忠父子は各地を転戦、活躍する。1184年(元暦1)から翌年にかけて、父子は甲斐源氏の勢力に危機感を抱いた頼朝に討たれるが、後に行忠の子である行義により甘利氏は再興されたといわれる。 戦国時代に入ると甘利備前守虎泰・昌忠父子は武田氏の有力部将として活躍している。1541年(天文11)虎泰は板垣信方・飯富虎昌と共に武田晴信(信玄)を擁立し、 晴信の父である信虎を退隠させた。以後も虎泰は信濃経略において武功を立てるが、1548年(天文17)上田原合戦で討死している。その跡を継いだ左衛門尉昌忠も信玄に従い、「信玄御秘蔵の人」として1567年(永禄10)に没するまで大いに活躍している。 大輪寺境内が館跡。南側に道を隔てて大庭、北側に北門、東側に矢立・的場、西側に大堀という地名が伝わり、かつては土塁や堀が残されていたという。境内には昌忠墓所があり、また大輪寺南西、甘利山から東に延びる尾根上末端には昌忠の亭候(物見)と伝わる扇子平山城がある。 |
案内板 | 甘利昌忠墓所 | 甘利八幡神社 甘利氏代々の氏神 |