浅尾陣屋

浅尾陣屋あさおじんや
岡山県総社市門田
Mapion

--陣屋碑--
別名                
交通 各線「総社駅」から徒歩15分。
築城年代 1862年(文久3)
築城者 蒔田広孝
形式 陣屋
主な城主 蒔田広孝
1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、西軍に従った蒔田広定は浅野幸長らの尽力もあって許され、1603年(慶長8)浅尾1万石を与えられた。
1636年(寛永13)2代定正の時、弟長広に領地の一部を分け、旗本となり、以後約230年間旗本の時代が続く。
1862年(文久3)12代広孝の時、江戸市中警備の功により再び1万石に高直しされ大名に列し、それまでの井手知行所を廃してこの浅尾の地に陣屋を設けた。1864年(元治1)禁門の変において京都見廻役であった広孝は長州藩を撃退し、この事が遠因してか、1866年(慶応2)浅尾陣屋は長州奇兵隊を脱走した一味約100名に倉敷代官所と共に攻められ、大半が焼失、その後十分な再建がされる事無く、明治を迎えた。
標高約30メートル程の小丘陵上に位置する御本殿を中心に勤番所や台場、家臣屋敷等を配していた。現在御本殿をはじめほとんどが宅地や畑となるが、御本殿東、通称「丸山」に建つ稲荷社脇に碑が立ち、見学者に開放されている。ここから遊歩道を進むと竹林の中に貴重な土塀が現存しており、更に頂部の硝煙蔵跡にはコの字にも土塀(土塁?)が良く残る。
土塀 硝煙蔵跡

参考文献 「現地案内板」
                    「広島・岡山の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年1月