倉敷陣屋

倉敷陣屋くらしきじんや
岡山県倉敷市本町
Mapion

--代官所井戸--
別名 小野ヶ城・倉敷城・倉輔山城・倉敷代官所
交通 各線「倉敷駅」から徒歩15分。
築城年代 1614年(慶長19)
築城者 小堀政一(遠州)
形式 陣屋
主な城主 米倉氏
古くからこの一帯は城山と呼ばれ、平安時代末期には小野浄知の子孫が居城していたとされる。その後戦国時代まで存続していたというが、1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、徳川幕府の直轄地となった。1614年(慶長19)大坂冬の陣に際し、幕府の命を受けた備中国総代官小堀政一は兵糧十数万石を倉敷湊から大坂に積み出す為、この地に屋敷を構えて陣屋とした。
その後倉敷湊は発展し、1642年(寛永19)初代幕府代官米倉平太夫が赴任して倉敷代官所となると、明治 まで200余年、備中(倉敷)・美作(久世)・讃岐(塩飽諸島)の天領を支配する枢府となった。
1866年(慶応2)長州奇兵隊を脱走した一味約100名が倉敷代官所と浅尾陣屋を襲撃した倉敷浅尾騒動により焼失、明治に入り跡地に倉敷県庁が置かれ、廃止後は倉敷紡績所が創設された。
現在は倉敷アイビースクエアという観光施設となっている。前身の小野城については東側に1493年(明応2)城主小野好信が伏見稲荷を勧請したという城山稲荷が移転されているだけで遺構は何も残らない。倉敷アイビースクエア敷地内には代官所の井戸や堀跡が僅かに残されている。
代官所堀跡 城山稲荷

参考文献 「現地案内板」
                    「広島・岡山の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年1月