神奈川県鎌倉市浄明寺4丁目 --足利公方屋敷址碑-- |
別名 | 鎌倉公方屋敷 |
交通 | JR横須賀線「鎌倉駅」から徒歩40分。 |
築城年代 | 平安時代末期 |
築城者 | 足利義兼 |
形式 | 屋敷 |
主な城主 | 足利持氏 |
1180年(治承4)鎌倉入りした源頼朝が大倉に居を構えた後、足利氏2代義兼がこの地に設けた屋敷に始まり、以来代々足利氏が住した。 1349年(貞和5)足利尊氏・高師直と足利直義の対立に始まる観応の擾乱が起こり、直義が失脚すると、鎌倉を治めていた足利義詮は尊氏に呼ばれて上洛し、代わって義詮の弟基氏が初代鎌倉公方として下向すると、代々鎌倉公方はこの屋敷で政務を執った。またこの時後見として上杉憲顕が初代関東管領に任ぜられ、後に上杉氏が独占して世襲していく事となる。 1438年(永享10)鎌倉公方4代足利持氏は幕府と対立し、両者の調停に努めた関東管領上杉憲実とも争う事となる(永享の乱)。敗れた持氏は自刃するが、1440年(永享12)結城合戦、そして1441年(嘉吉1)嘉吉の乱後、持氏の子成氏は5代鎌倉公方として鎌倉に復帰した。 しかし1455年(享徳4)関東管領上杉憲忠との対立に始まる享徳の乱が起こり、将軍の命を受けた駿河国今川範忠に鎌倉を追われると、下総国古河へ移った。これにより公方屋敷も荒廃したという。 |