足利政氏館

足利政氏館あしかがまさうじやかた
埼玉県久喜市本町7丁目
Mapion

--甘棠院山門脇空堀--
別名  
交通 JR東北本線「久喜駅」から徒歩20分。
築城年代 1518年(永正15)頃
築城者 足利政氏
形式
主な城主 足利政氏
古河公方2代足利政氏館跡。
1489年(長禄3)古河公方初代足利成氏の子政氏は古河公方を継いだ。
1506年(永正3)政氏は長男高基と対立し、一旦は和解するも、1512年(永正9)下野国祇園城主小山政長を頼って出奔、高基は古河公方を継いだ。
1516年(永正13)祇園城を出た政氏は円福寺を経て岩槻城へ移り、翌年出家して道長と称す。この頃この地に館を構えて隠棲したものとみられる。
1519年(永正16)館を寺として甘棠院と称し、子で高基弟でもある貞巌昌永和尚を開山とした。1520年(永正17)政氏は古河で高基に会い、和解している。その後1531年(享禄4)7月18日、66才で亡くなるまでこの地に居た。
甘棠院が館址で、山門脇・本堂裏手に空堀が残り、また政氏の五輪塔も残されている。
甘棠院山門 甘棠院山門脇空堀 甘棠院北側

参考文献 「現地案内板」 
                        「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2006年12月