大光寺城

大光寺城だいこうじじょう
青森県平川市大光寺三村井
Mapion

--城址碑--
別名          
交通 弘南鉄道弘南線「平賀駅」から徒歩15分。
築城年代 1333年(元弘3)
築城者 曾我氏
形式 平城
主な城主 滝本重行・津軽建広
1217年(建保5)平広忠が平賀郡岩館に地頭代として着任した後、曾我氏が地頭職となるが、この頃に大光寺城は既に築かれており、曾我氏居城となったと考えられる。その後曾我氏は大光寺曾我氏と岩館曾我氏に分家した。
1333年(元弘3)鎌倉幕府滅亡後、大光寺曾我氏は幕府要人であった安達高景・名越時如を匿い、大光寺城に立て籠もった。しかし宮方に攻められると、石川城を経て持寄城へ逃れた後、曾我道性は捕らえられ、大光寺曾我氏は滅びた。戦後宮方に従った岩館曾我氏は大光寺城を居城として勢力を広げた。
1394〜1428年(応永年間)には藤崎城主安東氏の別家で、気仙郡大崎城主葛西頼清の娘を娶った大光寺左衛門秀光(安東次郎)が城主となったという。
1429〜41年(永享年間)大光寺氏が南部氏に敗れると、南部氏の支配に代わり、滝本重行らが在城した。1575年(天正3)大浦(津軽)為信に攻められ落城、1609年(慶長14)城主津軽建広の時に廃城となり、翌年弘前城築城に伴い、大光寺城の用材は転用され、追手門は弘前城亀甲門として現在残されている。
大光寺城は新城・古館・小館・五日市館から成り、曾我氏時代の居城は古館であったと考えられる。新城跡は宅地化されており、明確な遺構は無いが、本郭とされる大光寺コミュニティセンター前に城址碑が立つ。
本郭 本郭・南郭間を通る道路は堀跡か 南郭・平賀本町郵便局付近

参考文献 「現地案内板」
                       「青森県の中世城館 青森県教育委員会」
                       「青森・岩手・秋田の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年9月