1185年(寿永4)3月 源義経・源範頼×平宗盛・平知盛 --源義経像-- |
交通 | JR山陽本線「下関駅」からバス「御裳川」下車。 |
1185年(寿永4)2月、屋島合戦・志度合戦に敗れた平宗盛は彦島に陣取る平宗盛と合流した。 源義経率いる源氏は摂津渡辺水軍・伊予河野水軍・紀伊熊野水軍を味方に付け、更に周防船所正利・串崎水軍等も合流させ、840槽の水軍を編成した。対する平氏は筑前山鹿水軍を先陣とし、二陣は肥前松浦水軍、そして知盛が指揮を執る平氏本陣を三陣とする500槽の編成とされる。 同年3月24日正午頃、合戦が始まるが、源氏は編隊を組んで押し寄せる平氏に押され、後退を余儀なくされる。しかし潮の流れが変化すると、守勢に回っていた源氏は攻勢に転じ、平氏の敗色が濃厚となる。この時平教経は単身源氏の船に切り込み、義経を追い討とうとするが、義経が別の船に次々飛び移って逃れると、覚悟を決め海中に入水した。御座船に在った安徳天皇や平氏一門も次々入水し、合戦は源氏の勝利に終わった。 |
平知盛像 | 安徳天皇御入水之処碑 | 壇ノ浦合戦壁画 めかり第二展望台 |