静岡県静岡市清水区江尻町 -南から城址遠望- |
別名 | 小芝城・於芝城 |
交通 | JR東海道本線「清水駅」から徒歩15分。 魚沼稲荷神社裏(江尻小敷地内)に城址碑があります。 |
築城年代 | 1569年(永禄12) |
築城者 | 武田信玄 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 山県昌景・穴山信君(梅雪) |
1568年(永禄11)12月、武田信玄は駿河侵攻を開始し、今川氏真を駿府から遠江掛川城に追い、徳川家康と対峙した。これに北条氏康・氏政は娘婿である今川氏救援と失地回復の為、1569年(永禄12)1月、薩た山に布陣し、家康と挟撃を計る。信玄は補給路及び海岸部確保の為、今福和泉守を奉行とし、馬場信春(信房)の縄張りにより、南方清水城と共にこの江尻城を築城した。同年4月24日、信玄は江尻城城番に対し、守備心得を規定した城法を下し、甲斐へ引き揚げた。 1578年(天正6)城主穴山信君(梅雪)は大改築し、防備を一段と強化して駿河の押さえとし、独自の領国経営を展開する。 1581年(天正9)高天神城が落城すると、武田方の駿遠2国における勢力は次第に弱まっていく。1582年(天正10)家康の和議を受け入れた信君は江尻城を開城し、武田氏滅亡後、上洛して織田信長に謁見する。しかし家康と共に堺を遊覧していた信君は、本能寺の変の混乱の中、山城国草内で横死した。 1601年(慶長6)創城以来32年を経て廃城となった。 |
本丸(江尻小)南にある魚町稲荷神社 | 三の丸にあたる小芝神社 | 西側を流れる巴川 |