榎並城

榎並城えなみじょう
大阪府大阪市城東区野江4丁目
Mapion

--榎並小校門前に立つ城址碑--
別名 江波城
交通 地下鉄谷町線「野江内代駅」から徒歩3分。
築城年代 1532〜55年(天文年間)
築城者 三好政長
形式 平城
主な城主 三好政長・政勝
古くは1369年(応安2)3月、楠木正儀が天王寺から榎並に退いて布陣した陣所に比定される。
1532〜55年(天文年間)三好政長・政勝父子居城となり、1548年(天文17)10月、三好長慶が同族間の争いから榎並城を攻めた事が記録上の初見で、翌年政長は政勝に榎並城を預けると、淀川北岸の江口城に入るが、長慶に攻められ討死し、政勝は瓦林城へ逃れたという。この時榎並城は廃城になったと考えられるが、その後石山合戦の際、石山本願寺が周囲に設けた51の支城の一つ、野江砦は榎並城跡を利用したものと推定される。
榎並小学校・野江水神社付近が城址と考えられるが、遺構は全く見当たらず、小学校校門脇に伝承地碑が立つのみとなっている。

参考文献 「城巡礼 東京地図出版」
              「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年8月