越中島砲台

越中島砲台えっちゅうじまほうだい
東京都江東区越中島2丁目
Mapion

--南西から遠望--
別名 越中島御台場
交通 JR京葉線「越中島駅」下車。
築城年代 1864年(元治1)頃
築城者 江戸幕府
形式 台場
主な城主 江戸幕府
1853年(嘉永6)アメリカ合衆国のペリーが4隻の軍艦(黒船)を率い、日本に開国を求める為、浦賀に来航すると、当時鎖国をしていた日本は大騒動になり、徳川幕府は江戸の町を守る為、品川台場を造営した。
その後1863年(文久3)薩英戦争や翌年の下関砲撃事件等が起きると、より堅固な江戸湾防衛体制を敷く為、品川から越中島までの間に新たに海岸砲台の設置が計画され、越中島砲台や佃島砲台もその一つとして築造された。
東京海洋大学敷地となり、遺構は消滅したが、グラウンド北側に砲台の構築材と推定されている切石が並んで置かれており、外から確認出来る。

参考文献 「江東区 下町文化 HP」
訪城回数 1
2016年6月