佃島砲台

佃島砲台つくだじまほうだい
東京都中央区月島1丁目
Mapion
案内板地図

--現地案内板--
別名      
交通 各線「月島駅」から徒歩5分。
築城年代 1864年(元治1)
築城者 江戸幕府
形式 台場
主な城主 江戸幕府
1853年(嘉永6)アメリカ合衆国のペリーが4隻の軍艦(黒船)を率い、日本に開国を求める為、浦賀に来航すると、当時鎖国をしていた日本は大騒動になり、徳川幕府は江戸の町を守る為、品川台場を造営した。
その後1863年(文久3)薩英戦争や翌年の下関砲撃事件等が起きると、より堅固な江戸湾防衛体制を敷く為、品川から越中島までの間に新たに海岸砲台の設置が計画され、佃島砲台や越中島砲台もその一つとして築造された。
明治時代に入ると、陸軍省所管の砲台となるが、1887年(明治20)に始まった月島の埋立工事の過程で消滅し、現在は案内板が立つのみとなる。

参考文献 「現地案内板」
訪城回数 1
2016年6月