布施天神山城

布施天神山城ふせてんじんやまじょう
鳥取県鳥取市湖山町南3丁目
Mapion

--北から城址遠望--
別名 布施城
交通 JR山陰本線「鳥取大学前駅」から徒歩15分。
築城年代 1466年(文正1)
築城者 山名勝豊
形式 山城
主な城主 山名豊国
1466年(文正1)但馬国此隅山城主但馬山名氏から因幡守護職を継いだ山名勝豊により築かれ、それまでの因幡守護所であった二上山城から移ったといわれる。以後8代108年因幡山名氏居城となった。
1545年(天文14)2月、誠通の時、同族である但馬守護職山名祐豊と絶えず争っており、出城として鳥取城を築いて但馬山名氏の侵入に備えていた。しかし1548年(天正17)布施天神山城は祐豊に奇襲され、誠通が討死すると、因幡山名氏の老臣達は誠通の2人の遺児達の後見として祐豊の弟豊定を迎えて守護代とし、和睦を申し入れた。
1563年(永禄6)豊定の子豊数の時、鵯尾城主武田高信は山名氏に叛旗を翻し、鳥取城を奪った。更に布施天神山城を攻め、豊数を鹿野城に追うと、安芸毛利氏と結び優位に立った。しかし尼子氏の遺臣山中鹿之助らが豊数の跡を継いだ山名豊国方に付くと、高信は次第に劣勢となり、鳥取城を開城して鵯尾城へ移り、その後謀殺された。
1573年(天正1)豊国が布施天神山城から鳥取城へ居城を移すと、廃城になったとされる。
鳥取緑風高校北西にある独立丘陵、天神山が城址。山頂に設けられた本丸は二段の曲輪から成り、井戸跡や櫓台跡と考えられる大岩が確認出来、南側には堀切が残されている。往時天神山城は南北400メートル、東西300メートルの長方形に掘られた内堀に囲まれ、更に湖山池に通じる総延長2.6キロメートルにも及ぶ外堀を備えていたとされる。また発掘調査で土師質土器・中国製の陶磁器・備前焼・古銭・下駄等が見つかっており、外堀の内側には城下町が形成されていたと考えられている。
本丸東下帯曲輪 本丸 本丸井戸
本丸櫓台跡 本丸南堀切 本丸南曲輪

参考文献 「現地案内板」
                         「鳥取・島根・山口の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2017年4月