長野県長野市篠ノ井二ツ柳 --南西から城址(二ツ柳神社)遠望-- |
別名 | |
交通 | 各線「篠ノ井駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | 南北朝時代 |
築城者 | 二柳氏 |
形式 | 丘城 |
主な城主 | 坂西長国? |
南北朝期頃まで存続していたと考えられる二柳氏居城。 1400年(応永7)に起こった「大塔合戦」の際、小笠原方の軍勢が立て籠もったとされる大塔古要害は大当地区に比定されていたが、現在はこの地に比定する説もある。 1400年(応永7)8月、信濃守護に就任した小笠原長秀は入信し、善光寺に参詣する。9月これを快く思わない村上満信・大文字一揆らは挙兵し、横田城を攻めた。激しい争いの末、長秀は塩田城に逃れたが、乱戦の中で逃げ遅れた坂西長国・飯田入道らは当時廃城となっていた大塔古要害に立て籠もった。兵糧も無い中20日余り籠城したが、10月17日夜討って出、坂西長国は21歳の若さで討死、小笠原勢は全滅した。 |
二ツ柳神社 | 社殿裏に残る空堀 | 西から南前面を流れる「こがに沢」 |