石川県白山市出合町 --北西から城址遠望-- |
別名 | 府峠城・不動下城・蕪城城 |
交通 | 北鉄石川線「鶴来駅」からバス「釜清水」下車。 バス停から城址まで徒歩20分。 |
築城年代 | 戦国時代 |
築城者 | 二曲右京進 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 一向一揆衆 |
築城年代は不明だが、二曲村の土豪で、白山麓門徒の
指導者であった二曲(鈴木)氏により築かれたとされる。 1570年(元亀1)以後、織田信長と本願寺との抗争が始まると、北方に築かれた鳥越城の 支城となり、鈴木出羽守の子鈴木右京進が二曲右京進の名跡を継いで城主となった。 1580年 (天正8)3月、本願寺と信長との間で講和が成り、顕如が大坂を退去すると、4月加賀における一向一揆の中核であった尾山御坊は柴田勝家勢に攻められ陥落した。鳥越城は一向一揆衆最後の拠点として抵抗を続けるが、11月支城の二曲城と共に落城した。 勝家は尾山御坊を佐久間盛政に委ね、鳥越城に吉原次郎兵衛、二曲城に毛利九郎兵衛を置いたが、1581年(天正9)一揆衆は蜂起し、両城を奪還した。間も無く盛政に鎮圧されるが、1582年(天正10)甲斐国武田勝頼に織田軍の後方撹乱を懇望された一揆衆は再度蜂起し、再び鎮圧された一揆衆300余人は鳥越城内で磔になったとされる。 鳥越一向一揆歴史館から南に見える山が城址で、西麓から登山道がある。城址は綺麗に整備されており、本丸には井戸跡や建物跡が平面表示されている。また北麓、八幡神社付近には「殿様屋敷」の地名が残されており、居館跡と考えられている。 |
麓に立つ一向一揆供養碑 | 堀切 | 二郭・三郭 |
主郭 | 主郭土塁 | 鳥越城遠望 |
四郭 | 四郭堀跡・復元された?石垣 | 「殿様屋敷」 |