滋賀県長浜市余呉町小谷 --南東から行市山遠望-- |
別名 | |
交通 | JR北陸本線「木ノ本駅」からバス「今市」下車。 バス停から西へ川を渡り、毛受氏墓所を目指し、墓所裏から 登山道があります。また玄蕃尾城下の久々坂峠からも道があり、 80分程で着きます。 |
築城年代 | 戦国時代 |
築城者 | 東野行一 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 佐久間盛政 |
標高約660メートルの行市山山頂からやや南に位置する。京極・浅井氏時代、東野行一が築城した事に始まるとされ、行市山の名もこれに因むともいわれている。 1583年(天正11)賤ヶ岳合戦の際、北方玄蕃尾城に本陣を置いた柴田勝家は、数多くの陣城を築くが、行市山砦もその一つで、佐久間盛政が布陣する。4月20日、盛政は行市山砦から権現坂を下り、羽柴秀吉方の陣城を迂回して、大岩山砦・岩崎山砦を急襲、確保した。 藪が多く確認しづらいが、土塁に囲まれた単郭の砦で、非常に小規模だが、ここから北方玄蕃尾城までの約4キロを軍道で結んでいたとされ、行市山尾根全体を要塞化していたと考えられている。玄蕃尾城から軍道跡とされる尾根を行市山まで歩いたが、所々に土塁や郭跡と思われる平場が確認出来る。 |
登山道途中(中之谷山砦付近)から 行市山遠望 |
主郭 | 礎石と考えられる石 |
主郭北堀切 | 行市山山頂 | 行市山山頂から南東の眺め |