箱館奉行所

箱館奉行所はこだてぶぎょうしょ
北海道函館市元町12
Mapion

--元町公園に立つ奉行所跡標柱--
別名        
交通 函館市電「末広駅」から徒歩5分。
築城年代 1803年(享和3)
築城者 江戸幕府
形式 陣屋
主な城主 江戸幕府
1770年代後半から日本沿岸にロシア船が接近するようになり、ロシアの南下政策を警戒した幕府は1799年(寛政11)松前藩が統治していた蝦夷地を直轄地とし、1802年(享和)蝦夷奉行を設置すると(後に箱館奉行と改称)、翌年この地に奉行所が建造された。1821年(文政4)幕府は財政難の問題と対外関係の問題は去ったという判断から蝦夷地を松前藩に戻し、ここで一旦箱館奉行は役割を終えた。
1854年(安政1)日米和親条約により、下田と箱館が開港すると、箱館奉行が再設置され、旧箱館奉行所が庁舎に当てられるが、手狭であり、また港湾から近い事から防衛上不利とされ、移転が検討される事となる。移転先として内陸の亀田の地が選ばれ、1857年(安政4)から武田菱三郎の設計の下に着工され、1864年(元治1)完成した。これが亀田役所土塁すなわち五稜郭で、蝦夷地の統治や開拓、箱館での諸外国との交渉等、幕府の北方政策の拠点となった。
1871年(明治4)奉行庁舎は解体されるが、2010年(平成22)五稜郭内に復元された。

参考文献 「箱館奉行所公式HP」
                  「北海道・沖縄の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2012年8月