花尾城

花尾城はなおじょう
福岡県北九州市八幡西区大字熊手
Mapion
登山口地図

--本丸下井戸跡・石段--
別名        
交通 各線「黒崎駅」からバス「花尾西登山口」下車。
築城年代 1196年(建久7)
築城者 宇都宮重業
形式 山城
主な城主 麻生氏
1196年(建久7)この地に入部した宇都宮重業により築かれ、後に重業は麻生氏を称し、代々麻生氏居城となった。
その後麻生氏は周防大内氏に従い、家春は周防山口に出仕し、花尾城にはその子家延(家信)が留守として残っていた。1478年(文明10)家春病死後、家春の異母弟弘家と家延との家督争いが起きると、花尾城は弘家を支援する大内政弘軍に攻められた。3年に及ぶ攻防戦にも落城しなかった花尾城であったが、その後家延は和議を受け入れ開城すると遠賀荘に退き、弘家が入城した。
1532〜55年(天文年間)大内義隆家臣である相良武任が一時城主となるが、1558〜70年(永禄年間)再び麻生氏の城となり、麻生鎮里が城主となる。1567年(永禄10)宗家の山鹿城主麻生隆実と不和になると、花尾城は隆実に攻められ落城、鎮里は島津氏を頼り薩摩へ逃れたという。
花尾城は山鹿麻生氏により修築されるが、1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐後、小早川隆景が名島城に入城すると、麻生家氏は浪人となる。その後1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、筑前52万石を与えられた黒田長政が豊前国中津城から入部すると家氏は領地を与えられるが、間も無く出奔し、弟である四郎右衛門が召抱えられ、代々黒田氏家臣として明治に至るまで続いた。
標高351メートルの花尾山山頂に位置する。山頂を中心として東西に伸びる尾根上に6つの曲輪が階段状に設けられており、随所に石垣や畝状竪堀群が残されている。また本丸北から石階段や登り石垣が綺麗に残されており、石組みの井戸へ通じている。
五の丸堀切 五の丸 四の丸
三の丸石段 三の丸堀切 二の丸下石垣
本丸に立つ城址碑 本丸下段 本丸下井戸跡
本丸下石垣 本丸下畝状竪堀群 本丸東堀切
馬場跡 馬場跡東堀切 東櫓台跡

参考文献  「福岡県の城郭 銀山書房」
                   「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」 
訪城回数 1
2017年1月