山鹿城

山鹿城やまがじょう
福岡県遠賀郡芦屋町山鹿
Mapion

--山鹿秀遠之城址碑--
別名    
交通 各線「折尾駅」からバス「山鹿」下車。
築城年代 938〜47年(天慶年間)
築城者 藤原藤次
形式 山城
主な城主 山鹿秀遠
938〜47年(天慶年間)鎮西奉行となった俵藤太秀郷の弟藤原藤次により築かれ、藤次は山鹿氏を称すと、代々山鹿氏居城になったと伝えられる。
1183年(寿永2)9月、緒方三郎惟義に追われた平氏が大宰府に落ちる途中、山鹿秀遠は安徳天皇や平家一門を山鹿城に迎えるが、惟義軍が寄せて来ると聞き、海上へ逃れたとされる。1185年(寿永4)秀遠は屋島合戦にも出陣し、同年壇ノ浦合戦で平家に殉じ、山鹿氏は滅亡した。
鎌倉時代、山鹿氏旧領を与えられた宇都宮氏が関東から下向すると、山鹿氏を称すが、後に麻生氏と改称し、代々山鹿麻生氏居城として栄えた。
1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐で麻生氏は秀吉に降ると、小早川隆景配下として筑後へ移り、山鹿城は廃城となった。
現在城址は城山公園となり、山鹿秀遠之城址が立つ。南側に建つ白山神社・秋葉神社付近が三の丸とされるが、こちらは大きく改変され、旧状は留めていないようである。
西麓に建つ花山院 中世墓群の跡 二の丸
本丸 秋葉神社 西から城址遠望

    参考文献 「福岡県の城郭 銀山書房」
                      「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2017年1月