羽根尾城

羽根尾城はねおじょう
群馬県吾妻郡長野原町羽根尾
Mapion

--本丸に立つ城址碑--
別名     
交通 JR吾妻線「羽根尾駅」から徒歩20分。
南西麓、宗泉寺から登山道があります。
築城年代 1532〜55年(天文年間)
築城者 羽尾幸全
形式 山城
主な城主 羽尾幸全
1532〜55年(天文年間)信濃源氏、滋野氏の末裔羽尾入道幸全により築かれたとされる。
1541年(天文10)海野平合戦において武田・村上・諏訪三氏に敗れた海野棟綱は子といわれる真田幸隆と共に関東管領上杉憲政を頼って上野国に逃れるが、この時幸隆は羽尾幸全の庇護を受け、娘を娶ったといわれる。
1546年(天文15)頃?、旧領復帰を願う幸隆は武田氏に臣従すると、信濃先方衆として活躍し、その後武田氏の上野国吾妻郡侵攻にも先兵となり、1563年(永禄6)10月、岩櫃城を攻めた。この時岩櫃城にはかつての恩人である羽尾幸全が籠もっていたが、その弟海野長門守幸光・能登守輝幸らを調略すると、城主斎藤氏と羽尾幸全は城を逃れ、没落した。
その後羽根尾城は海野兄弟が守ったが、1581年(天正9)真田昌幸に逆心したとの理由で討たれた。1583年(天正11)城主を失った羽根尾城には昌幸の命により湯本三郎右衛門が在城したが、その後廃城となった。
宗泉寺から北東に見える山が城址で、車道が通じており楽に登る事が出来る。本丸・二の丸・三の丸から成り、小規模だが堀切や土塁が良く残されている。また南麓には海野兄弟墓碑が立つ。
本丸北堀切 本丸 本丸東腰曲輪
本丸から南東の眺め 本丸・二の丸間堀切 二の丸
三の丸 南麓に立つ海野兄弟墓碑 南東から城址遠望

参考文献 「群馬の古城 あかぎ出版」
                 「群馬県の中世城館跡 群馬県教育委員会」
                「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年5月