岩櫃城

岩櫃城いわびつじょう
群馬県吾妻郡東吾妻町原町
Mapion
城址登山口地図

--本丸に立つ城址標柱・案内板--
別名  
交通 JR吾妻線「群馬原町駅」から登山口まで徒歩40分。
築城年代    
築城者    
形式 複合城
主な城主 斎藤氏・真田氏
築城者・年代は不明。鎌倉時代、吾妻太郎助亮により築かれたとも伝わるが、伝承の域を出ない。
南北朝時代、城主として吾妻太郎行盛の名がみえる。行盛は南朝方里見氏に攻められ自害したと伝わるが、その子憲行は関東管領上杉氏の支援を受けて岩櫃城を奪還、以後斎藤氏は憲広まで6代にわたり岩櫃城を拠点とし、関東管領上杉氏に従って勢力を拡大した。
1560年(永禄3)憲広の時、甲斐武田信玄に属す鎌原幸重が籠もる鎌原城を攻め落とすが、1562年(永禄5)信玄は真田幸隆に鎌原城を奪還させると、上杉謙信を頼った斎藤氏との間で激しい攻防が繰り広げられた。
1563年(永禄6)10月、幸隆はついに岩櫃城を攻略し、憲広は嫡子憲宗と共に越後へ逃れると、その後末子城虎丸が籠もり抵抗を続ける嵩山城も陥落し、斎藤氏は滅亡した。
1582年(天正10)武田氏滅亡後、この地は真田昌幸が支配し、岩櫃城は信州上田城上州沼田城を結ぶ真田道の中間地点として重要視されるが、その後徳川家康の治世となり、1614年(慶長18)真田信之により破却された。
北の木戸跡 平川戸(字上ノ宿)
家臣屋敷や町場が形成されていたと
考えられる
岩櫃神社
天狗の丸
正面に岩櫃神社が建つ
天狗の丸から城址・岩櫃山遠望 城の口
中城北竪堀 中城 中城西竪堀
二の丸 二の丸・本丸間堀切 本丸南下竪堀
本丸 本丸北土塁 本丸枡形虎口
本丸西尾根曲輪跡
詰め曲輪か
本丸西尾根曲輪跡にある窪み
井戸跡または狼煙場跡か
西尾根に立つ天狗岩

参考文献 「現地案内板」
           「戦国の堅城 学研」
訪城回数 2
2006年9月
2014年5月