端谷城

端谷城はしたにじょう
兵庫県神戸市西区櫨谷町寺谷
Mapion

--二の丸・三の丸間堀切--
別名 衣笠城・寺谷城
交通 地下鉄西神・山手線「西神中央駅」からバス「寺谷」下車。
築城年代 室町時代
築城者 衣笠氏
形式 山城
主な城主 衣笠範景
築城年代は不明だが、鎌倉時代中頃より櫨谷の地は赤松氏一族である衣笠氏が代々領していたと考えられ、1467年(応仁1)応仁の乱で赤松政則に従い活躍した衣笠祐盛の頃、櫨谷城砦群の整備が行われたものと推定される。
1520年(永正17)赤松義村は重臣浦上村宗に隠居させられると、預かっていた将軍足利義澄の子亀王丸(後の足利義晴)を連れて置塩城を抜け出し、再起を図るが、この時衣笠範弘は端谷城に両者を迎えている。
1578年(天正6)一族である三木城主別所長治が羽柴秀吉率いる軍勢に攻められた時、衣笠範景は別所方として端谷城に籠もるが、三木城落城後の2月25日、織田七兵衛・明石与四郎ら500騎に攻められ落城し、その後廃城となった。
満願寺下の寺谷公会堂や住宅地付近が大手口・居館跡とされ、満願寺へ登る道に城址碑が立つ。満願寺は三の丸にあたり、境内に衣笠範景碑が立ち、本堂裏手には堀切が残されている。二の丸・三の丸は公園として整備されており、本丸隅に櫓台、そして本丸北側は藪になっているが深い堀切が確認出来る。
南から城址遠望 南麓を流れる櫨谷川 城址碑
三の丸・満願寺に立つ衣笠範景碑 二の丸 本丸

参考文献 「現地案内板」
                          「ひょうごの城 神戸新聞総合出版センター」
                     「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年1月