置塩城

置塩城おきしおじょう
兵庫県姫路市夢前町宮置
Mapion
登山口地図

--南西曲輪群・大石垣--
別名 小塩城・藤丸城
交通 各線「姫路駅」からバス「宮置」下車。登山口まで徒歩15分。
築城年代 1469年(文明1)
築城者 赤松政則
形式 山城
主な城主 赤松則房
1441年(嘉吉1)「嘉吉の乱」で敗れた赤松満祐は城山城で自刃し、赤松氏が滅亡すると、赤松氏旧領の播磨・備前・美作国は山名氏が領有した。
赤松家滅亡の際、満祐の弟義雅の子時勝は城山城を脱出し、幕府の追及を逃れたが、この時勝の子法師丸が後に赤松家を再興する政則となる。
1467年(応仁1)応仁の乱に際し、山名氏に恨みを持つ政則は、細川方として播磨に兵を挙げ、山名方の竹田城主太田垣氏を撃退すると、その功により播磨守護に任ぜられ、姫路城を本拠とする。
1469年(文明1)政則はこの置塩城を築くと、以後赤松氏5代の居城となり、姫路城には小寺豊職を置いた。
1577年(天正5)5代則房の時、羽柴秀吉による中国攻めが開始されると、則房はほとんど戦わずして秀吉に従った。そして1580年(天正8)秀吉の破城令により置塩城は廃城となり、古材は姫路城に移されたという。
1585年(天正13)秀吉による四国征伐後、則房は阿波住吉の地を与えられると、置塩から移り、住吉藩1万石を支配した。
南から城址遠望 茶室跡 石垣
三の丸 二の丸 二の丸下堀切
本丸西石垣 本丸 本丸南石垣
本丸南曲輪群 南西曲輪群から南方の眺め 三の丸南下竪掘
西曲輪群 大手門跡 姫路城との一門は
置塩城大手門と伝わる

参考文献 「現地案内板」
                        「ひょうごの城 神戸新聞総合出版センター」
訪城回数 1
2013年1月