八幡山城

八幡山城はちまんやまじょう
滋賀県近江八幡市宮内町
Mapion

--村雲御所瑞龍寺山門・本丸--
別名 八幡城
交通 JR東海道本線「近江八幡駅」から登山口まで徒歩30分。
築城年代 1585年(天正13)
築城者 豊臣秀次
形式 山城
主な城主 豊臣秀次・京極高次
1585年(天正13)四国平定の戦功により近江を与えられた豊臣秀吉の甥である豊臣秀次により築かれた。秀次は城下町の整備も行い、琵琶湖から引いた八幡掘を山麓に廻らせて防御すると共に、運河としての役割も持たせ、近江八幡は商都として繁栄した。
1590年(天正18)秀次が尾張国清洲城へ移ると京極高次が2万8000石で入城した。
1593年(文禄2)秀吉に秀頼が生まれると、秀次は次第に疎まれるようになり、1595年(文禄4)7月、秀次は謀反の罪で高野山に追放され、その後自刃させられた。この時八幡山城は廃城となり、高次は大津城へ移った。
現在本丸には、1596年(文禄5)秀次の母、日秀尼公(秀吉の姉)が秀次の菩提寺として京都に創建した村雲御所瑞龍寺が移築されている。
石垣 八幡掘

豊臣秀次居館跡
大手道 屋敷跡石垣 秀次館跡石垣

参考文献 「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年1月