長野県中野市大字壁田 --北堀切-- |
別名 | |
交通 | JR飯山線「蓮駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | 戦国時代 |
築城者 | 山田豊前守 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 小幡上総介 |
往古は火置田(ひきだ)と書いて、奈良朝のエゾ経畧時代の狼煙台のあった所といわれ、平安時代末期には笠原氏の支配を受けていた。 戦国時代には高梨氏の幕下にあり、山田豊前守が居城していたが、1558〜69年(永禄年間)に武田氏に攻められ落城した。以後は千曲川西岸の替佐城と共に、上杉方の飯山城に対する武田方の最前線として重要な拠点となった。 城主は替佐城と共に小幡上総介と伝承されるが確証はない。1566年(永禄9)9月、武田信玄は山田飛騨守・同左衛門尉に壁田・田麦・寿徳寺の地を宛行なっており、彼らが守備していたものと推定されている。 |
三郭堀切 | 三郭 | 二郭 |
主郭に建つ長丘神社 | 主郭南堀切 | 城山北から北方飯山城方面 |